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発行人の日記

蕎麦どころ・よし田(銀座)と、諸井薫さん

2014年02月

今朝がた、クルマの中で東京FMを聴いていたら『散歩の達人』の編集長が銀座7丁目の金春通りあたりを歩きながら説明をしていました。金春通り、懐かしいなと思っていると話は「蕎麦どころよし田」の話に移って、おっ!よしだやさんと思わず声を出しました。中央通の資生堂パーラーから少し入ったところの老舗のそば屋。ここには20年近く昔のほろ苦い記憶があります。
その頃、独立して間もないぼくはある雑誌の編集を請け負っており、そこには『プレジデント』を4万部から25万部に引き上げて名編集長と謳われた諸井薫(本多光夫)さんが顧問格で加わっていました。ぼくはまだ編集者として自信も実績もなく、なにかというと「本多先生」の厄介になったものでした。
諸井さんはすでに白髪のお爺ちゃんでしたが、事務所が資生堂パーラーの隣りにあった関係で打ち合わせはよしだ屋さんと決まっていました。店に行くとすでに出来上がっていることが珍しくなく、上機嫌でぼくを迎える。まるで飲み友達を待っているような風情でした(笑)。こうして蕎麦を食いながらあれこれ指導、注意をもらったのですが、その後、ぼくがまがりなりにも編集者としてメシを食ってこられたのは、この頃の諸井さんのご指導と、そういう機会を与えてくれた某出版社のおかげと感謝しています。
あるとき、郷里の話になって、同じ長崎、それも島原に縁があると聞くと、諸井さんは「それじゃ遠戚かもしれんね」と言ってくれたことを覚えています。たしかにぼくの郷里の知人には諸井さんの本名である「本多」姓が多いのです。亡くなる数ヶ月前には肺炎を患い、チューブを腕に刺した状態で現れ、編集者としての執念を見ました。70歳で死去。もうじき、ぼくもその年齢になります。
これを書くために諸井さんをWikipediaで確かめたら、生地は東京、長崎の両説があり、定かでないとありました。いえいえ、出身は長崎・島原です。この耳で聞いたのですから間違いありません。

  

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