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発行人の日記

70年ぶりの防空警報

2018年08月

先日来、あちこちでサイレンが鳴って、ミサイルを想定した避難訓練が行われたそうで、マスコミは戦後初、70年ぶりの防空警報と報道しました。だけどね、それはちょっと事実と違うんですね。そんな話を書いておきたいと思います。

それはね(と、ご隠居身を乗り出して)、学生時代に先輩から聞いた話では、1953年に終わる朝鮮戦争の末期には日本の北九州一帯でも空襲警報が鳴り渡ったそうです。

それはたぶん、ソウル陥落、アメリカ主体の連合軍が朝鮮半島の南の端、プサン(釜山)近くまで追い詰められ、まかり間違うと日本まで退却せざるをえなかった時期ではないかと思います。いまにも北朝鮮・中国の爆撃機が飛んできて空襲をやらかすのではないかと市民の間で噂になり、そんな緊迫のある日、とうとう空襲警報が鳴ったというわけです。八幡製鉄(現在の新日本製鐵)はじめ、軍需工場がいっぱいある地域でしたからそれが現実に起こってもおかしくない状況だったのですね。幸い、空襲は噂だけで終わったのですが、これが戦後、最初で最後の空襲警報だったというのが、知られざる事実です。

その当時のことでこんな話も聞きました。北九州一帯の病院には朝鮮半島から船や飛行機で米兵の遺体が続々運ばれてくる。米本土へは汚れたまま飛行機に乗せるわけにいかないから遺体をきれいに洗浄す必要があります。そのために大勢の市民や学生が高額の賃金で駆り出されたそうです。一体洗浄するのに1万円とか聞いた記憶がありますから、いまでいうと、10万円ほど? 割のいいバイトに違いありませんが、ひと晩やると臭いがついて、これが1週間も10日も臭いがとれなく往生したのだと、そんな話も耳にしました。

また再び、こんなふうな事態にならないことを祈るばかりです。

2017.9.8

  

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